公開二日目の7月13日に『トイ・ストーリー4』を渋谷TOHOシネマズで観賞してきました。
物語の始まりの場所でありホームであったアンディのもとを離れ、ボニーという新しい主人を得て「子供に遊んでもらう」というおもちゃとしての使命・仕事を全うするという華麗な着地を見せた前作「トイ・ストーリー3」。
アンディを巡る物語として最高の終焉を迎えた『トイ・ストーリー』シリーズの続編ということで、どんな物語になるのかという期待と不安もあってか、これまで成長とともに『トイ・ストーリー』シリーズを追いかけてきたであろう20代〜30代の方が大半でした。
『トイ・ストーリー4』はそんな大人たちこそ観るべき、自らの生き方・役割・使命について考えさせる物語でした。
あらすじ
物語はウッディたちがボニーの手に渡ってから9年前にさかのぼり、
1・2でも活躍していた「ボー・ピープ」がモリーのもとを離れる場面から始まります。
場面は現在に戻り、ウッディが新しい主人であるボニーに遊び相手として選ばれないことに苦悩している描写が見られるシーンです。
ただ、ウッディは自分が遊び相手に選ばれないなかでも、「ボニーのために」という忠誠心で、
幼稚園でボニーに悲しいことがないようにと幼稚園へとこっそり付いていきます。
幼稚園での工作の時間に工作の材料が見つけられず困っているボニーに対して、ウッディは「ゴミ箱」から材料を調達し、ボニーを助けます。
ボニーはその「ゴミ箱」の材料をもとにフォーキーというおもちゃを作り出すのです。
ボニー一家は旅行に出かけることになるのですが、ウッディとフォーキーは道中ではぐれてしまいます。
なんとか旅行先にたどり着いた二人ですが、旅行先でウッディは9年前にアンディ家から去ったボー・ピープのランプが飾られている骨董品店に目を引かれ、フォーキーと二人店内に入り込みます。
入り込んだ骨董品店でギャビー・ギャビーという古い女の子の人形と出会い、トラブルに巻き込まれることになるのです。
ウッディは、「フォーキー」「ボー・ピープ」「ギャビー・ギャビー」という三者と向き合うことで、「自分の使命とは」「自分は本当はどうなりたいのか」「おもちゃとしてどう生きていくことが幸せなのか」と悩み、自らの道を歩んでいくことになります。
「フォーキー」「ボー・ピープ」「ギャビー・ギャビー」と「ウッディ」
「フォーキー」「ボー・ピープ」「ギャビー・ギャビー」の三者と「ウッディ」とで交わした会話や交流の中で、ウッディが考えや行動を変えるきっかけとなった部分だなと思ったものを紹介していきます。
「フォーキー」と「ウッディ」
ウッディは、主人であるボニーの一番のお気に入りであるフォーキーが
「『ゴミ』であるという考えることや『ゴミ』として行動すること」を変えようとし、
「フォーキーを教育することが自らの役割」とボニーへの忠誠心に沿った行動をします。
ウッディはフォーキーの教育担当として、手を尽くしますが、その中で純粋なフォーキーと対峙をしたウッディは改めて自分の生き方を問い直す必要があると感じたのではないかと思いました。
「フォーキーはゴミ」
ゴミからおもちゃへと転生したフォーキーは意思を持ちますが、その意思は「自分はゴミである」という意思でした。
「ゴミという素材」でできた「おもちゃ」という存在は、これまで物語に登場してきた
「完成品としてのおもちゃ」
「自らはおもちゃであると自覚しているおもちゃ」
とは根底の価値観がそもそも異なる異質な存在です。
ただ、生みの親のボニーはフォーキーを一番のお気に入りの「おもちゃ」として扱うのです。
「おもちゃ」として扱われることが理解ができないフォーキーは、何度も自らゴミ箱の中へと身を投げ、「ゴミ箱はとてもあたたかい、居心地がいい」といった発言もします。
「フォーキーはゴミ」というセリフは、フォーキーが意思を持った時点から繰り返し使われているセリフです。
自らの役割や立場を生まれや自分が出来上がった過程から「ゴミ」であると規定をしてしまっているフォーキーに対し、考えや行動を改めるよう促すウッディ自らも「ボニーのおもちゃである」と規定してしまっていることに気づいたのではないでしょうか。
フォーキーに昔話を聞かせるウッディ
旅行の道中でみんなとはぐれてしまったウッディとフォーキーは、二人で旅行先に向かうことになります。
道中ウッディは、アンディのもとであったことなどこれまでの「おもちゃとしての人生」をフォーキーに対して話します。
この自己開示や自らの想いの根源を話すことで信頼関係が生まれ、フォーキーもようやく「おもちゃとしての意味」を理解できたのではないかと思います。
フォーキーに「おもちゃとしての意味」を伝える過程で、ウッディ自身も自分はどうあるべきなのかと考えるところがあったのでしょう。
「なんのために生きているの?」「わからない」
ウッディと交わした会話ではないですが、
物語の最後で、ボニーが新しく「ゴミ」からおもちゃを作り、フォーキーと対面をするシーンでのセリフです。
「なんのために生きているの?」という問いに対して、フォーキーは「わからない」と答えます。
フォーキー自身がそうであったように、
「なんのために生きるのか」は自ら決め、「自分の思う通りに生きるべきである」というメッセージが感じられます。
「ギャビー・ギャビー」と「ウッディ」
不良品として生まれた境遇から「子供に遊んでもらう」という経験をしたことがなく、
主人を望むギャビー・ギャビーと特定の子供に尽くす人生を送ってきたウッディは対象的な存在として描写されています。
「おもちゃとしての役割」を果たしたいギャビー・ギャビーがどんな思いを抱いているのかをウッディは深く理解をしていたでしょう。
ハーモニーに選ばれなかった「ギャビー・ギャビー」
「おもちゃとしての役割」を果たす相手は骨董品店の店主の孫娘である「ハーモニー」である。と自分の役割を決めていたギャビー・ギャビーですが、故障も治り、やっと遊べる状態となったギャビー・ギャビーに対して、ハーモニーは「いらない」と突き放します。
「自分が忠誠を尽くそうと決めた主人から切り捨てられる」という辛さを痛いほど理解できるウッディは、ともにボニーのもとに行こうと提案をするのです。
ここでもウッディは「自分が忠誠を誓った相手に受け入れられなくても道はある」と思うきっかけになったことでしょう。
「ボー・ピープ」と「ウッディ」
「ギャビー・ギャビー」によって人質として捕らえられたフォーキーをウッディは助け出そうとしますが、その過程で「特定の誰かに遊ばれることを使命とするおもちゃ」としてではなく、「多くの子供に遊んでもらえることを使命とするおもちゃ」として生きていた「ボー・ピープ」と再会することになります。
9年ぶりに再会することになったボー・ピープとウッディ。
9年間の生き方の違いやボー・ピープの考え方の変わりようは、ウッディにとって考え・行動を変革する刺激として描写されていました。
「もっと広い世界を見たくないの?」「知らない世界を見たくないの?」
セリフ自体を正確には覚えていないのですが、骨董品店で今まで見たことがない美しいシャンデリアの輝きを見てのボー・ピープの一言です。
これまで、アンディ・ボニーのもとで過ごし、行動の源泉も「アンディのため」「ボニーのため」という忠誠心で行動をしてきたウッディにとって、
「広い世界を見ること」
「見たことのないものを見ること」
の素晴らしさに触れ、心が動いた瞬間の一つであったと思います。
ウッディの選択
ウッディはボニーのもとに帰ろうとし、ボー・ピープと別れを告げるタイミングでバズから本当に戻ってきていいのかと問われます。
ウッディはこの物語の中で「自分が置かれている状況、自分はどう生きたいのか、自分の役割とは」を何度も考える機会があったのですが、ここでついに自分の人生の大きな意思決定をすることになります。
ウッディの人生を考え、ウッディの決断を受け入れたバズやレックス、ハム、ポテトヘッド、スリンキーらの様子は思わず涙します。
人生を省みより良い選択をするための物語
『トイ・ストーリー4』は人生における選択や自分の人生における役割を問い直すウッディの苦悩に自身を重ねることで、その辛さや苦悩が理解できる分大人である今こと泣ける作品でした。
生き方や働き方、自分の役割、使命を考えることが多くなった現代だからこそ、刺さる作品です。
また、その中で子供を楽しませることも忘れないPIXARは本当にすごい会社であるなと思いました。
ぜひ劇場で見てみてください。
終わりだよ〜
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